こんにちはkanaです♩
久しぶりの投稿になりました!笑
(ま、気が向いた時に書いているからいいんです。笑)
今日は、
「この幸せが続くかどうか・・」について。
今が幸せでも、
この幸せが続くかどうか不安や心配になること
ってありませんか?
私はよくありました。
人生良いことばかりではないから
幸せな気持ちを味わった後には
悲しいことや辛いことが起きるのも
当たり前だと。
だからこの幸せも当たり前だと
思ってはいけない、と。
でも最近は
そう考えてきたことに
何だか少し違和感を感じてきて
幸せなことは確かに有難いことであり
感謝の気持ちを持つべきだけど
別に幸せの後に不安が来るかもしれないことを
考える必要はないのでないか
と思うようになりました。
幸せの後を心配して不安な気持ちでいるのは
自己防衛の一つですよね。何か起きた時に
「ほら、やっぱり。」と思いたいし
それで納得したい。心の傷を最小限に抑えたい。
でも幸せの後に悲しいことや
辛いことが起きることって
不安な気持ちやその思考が現実となって現れただけで
目の前の現実を作り出しているのは
紛れもなく自分自身だな、と。(分かってはいたけど改めて・・)
少し話は変わりますが
幸せを感じきることになんとなく遠慮?やモ
ヤモヤする気持ち?が生まれる時が私はありました。
全力で、「あ〜幸せ〜〜」って
思ってしまって良いのかな、と。
何故そう思ってしまうかは
これまで生きてきた環境や経験によるもので
特にバレエは終わりのない世界で
「自分の踊りに満足してしまったら高みを目指せない」
とずっと思ってきたのも一つの要因かな〜と思う。
(芸術に限らずプロの世界にいる方々はどういったマインドで常日頃臨んでいるのか聞いててみたい。笑)
一見似ているように思えることで
本質をとらえずに一緒くたにしていることが
多々あるな〜と自分自身で思います。
この前ある方に、
怒ると叱るは違うからね〜、と言われてハッとしました。
この記事で書いたことも然り。
こうやって曖昧に捉えていたことも
一つ一つ気づいて学んで
より良くしていくのが人生なのかな・・笑
そう思うと面白いな、と思うし
今後もどんな発見があるのか楽しみで仕方がない。
曖昧、ということについて余談ですが
私は何事もかなりふわっと雰囲気や
イメージで捉えることが多いのです。(説明書とかも読まないタイプ)
それゆえ間違えて認識していること
記憶していることも多い(笑)
惜しい(おしい)という言葉を
ずっと(ほしい)だと思っていて
当時付き合っていた彼に指摘された
高校時代をふと思い出した。(全然意味が違うw)
最近はカトラリー🍴をカラトリーだと思っていた。
ということで、何か違うよ!と思われることがあれば
どんどんご指摘ください。笑
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